やにうさぎの雑記帳~140字じゃ語れない~

某呟きSNSには入りきらない思いやなんかを書いています。

博士課程に進むということ

今まで某呟きSNSで愚痴をこぼしまくっていたけど、「自分の境遇に愚痴をこぼすとは情けない」「それはお前が選んだことだろう」とお叱りを受けたので、ひっそりとこんなブログめいたものを始めることにしました。

ブログはいくつか試したものの、長くは続かず、だいたいは放置してしまっているけども、まぁこれならチラ裏がわりに書いていけば長続きするかもしれないですな。

ということで、ここではつらつらと心の裏側(?)を書いていこうかなと思います。きっとネガティブな面が多いかもしれないけど、それでも自分が楽になるので、それで良しとするか・・・。もしかしたら共感してくれる人がいるかもしれないし。

 

で、標題のお話。

僕はこの4月から今いる大学の博士課程へ進みます。周囲はみんな就職してしまうので、傍目から見れば「経済的に恵まれているお坊ちゃんの道楽」「社会に還元できない研究をしてる自己チューな社会不適合者」「不景気の中、親のすねをかじって学生を続けている親不孝者」「穀潰し」・・・などなど、色々揶揄されることも多いです。

確かにこの経済状況の中、将来どうなるかもわからないのに、世界有数の高額な学費を払い続けてまで博士課程に進むことにどれだけの意味があるのか。

奨学金という名の借金をより多く背負い、学位を得ても不安定な職にしか就けないかもしれない。

それだけの不安要素ばかりだと、確かに博士課程に進学する人は少ないでしょうし、進む人を前述のような言葉で揶揄することも抵抗がない人は多いんだと思います。

僕の場合は何よりも両親、特に母親の理解があることが一番の救いです。

「自分で究めたいことを若いうちに見つけられたことは幸せなことだから」と言って僕のワガママを許してくれているわけです。

 

博士課程に進むにあたっては、色々と条件があるかもしれませんが、周囲の理解というのは精神的な安定には非常に重要だと思います。

ありきたり、或いは「金銭的に余裕のある人間の理想論」と看破されることもありますが、「博士課程に進むだけの興味・関心・好奇心が就職して稼ぐことに勝るか」どうかというのも大きなポイントだとは思います。

「学部で就職できなかったから修士課程へ行く」という人もいますが、それが本当にいいことなのかは分かりません。ただ、研究への興味が続かないのに大学院の門をくぐってしまうのは本人にとっても指導教官にとっても地獄であるのは間違いないように思います。