やにうさぎの雑記帳~140字じゃ語れない~

某呟きSNSには入りきらない思いやなんかを書いています。

趣味って、無心で楽しめるもののことを言うんでしょうね。

実を言うと、プラモデルを組み立てるという趣味がありました。
つい、昨日、思い出したんです。

中学生の頃、社会科の授業で習った太平洋戦争の話から興味を持ったのが最初だった記憶があります。

初めて自分で買ったのが重巡の青葉。ソロモンの狼ですね。
ただ、当時は不器用でパーツを切り離すだけでもしんどくて、すぐに投げ出してしまったんです。気が短いのはこの頃からだったんですねえ。
その組みかけの青葉を実家から持ってきたのが数年前、博士課程の時。
そこから、15年余、昨日、やっとある程度の形にしました。

せっかくなので着色もしてみようかなと思い立ち、今日は水性塗料を買ってきます。

思えば、僕の趣味はなんだったんだろう、と思い返すと、かつてはいろんなことをやっていたのに、今は何もないんです。
中学高専吹奏楽部だったので、作編曲も趣味としてやっていたし、楽器も吹いていました。ゲーセンに遊びに行くこともあったし、ボーリングもアベレージで200くらいまで出せるくらいやってました。ボーリングについては、亡くなった母方の祖母が教えてくれたのを覚えています。小学校の低学年の時、毎週土曜日に祖母に連れられてボーリング場で3ゲームほど投げていたのを覚えています。ビリヤードも好きで、高専の頃、よくやってました。下手だけど。
物語を書いたりするのは小学生の時からやっていたような気がします。
実家には黒歴史がたくさん書いてあるノートや原稿用紙が段ボール箱の中で眠っていることでしょう。
本を読むのも好きでした。本は、自分を知らない世界へ誘ってくれる良き友人でした。読書の時間は、知らない世界をのぞき見られる、ワクワクする時間でした。
今、パッと思い出せるだけでもこれだけあるけれども、それ以外にもカメラとか乗り鉄とか、趣味(?)となるようなものはあったわけです。きっと、パッと思い出せないけど、多趣味だったのだと思うのです。まだまだあるはず。

 

ですが、そういった趣味は全て捨てろ、と言われたのが、博士課程に入って最初に指導教授に言われたことでした。

曰く、「博士課程の学生は新色を忘れて研究すべきであり、趣味を持っているなどとはけしからん。そういったものは全て捨てるべきだ」と。
その頃から万年筆を使っていたのですが、「学生が持つものではない。研究に打ち込む姿勢に不適切だ」と散々ネチネチと嫌味を言われたものです。
音楽を聴くのでさえも「そんなものを聴いてる暇があるなら雑用の一つでもこなせ」と言われました。

そんな日々を越えて、学位を取って世間に出た時、僕は趣味とは何か、わからなくなっていました。
お金も時間もあるのに、趣味というものが何か、本当に見当がつかないのです。
なので、人に趣味を聞かれてもなんと答えたらいいのかよくわからないのが正直なところですし、無難に音楽鑑賞と読書と答えるのが精一杯なのです。

でも、こうして、プラモデルを組んでいると、趣味ってこんなんだったな、と思い出せてきているような気がします。
楽しいですもん。無心で楽しめるんです。
きっと、明日から、本を読んでも、音楽を聴いても、物語を書いても、万年筆をいじっても、すごく楽しいと思います。
そう、僕にとって、趣味というものを取り戻した日なのです。

心身、特に精神的に徹底的な否定を食らって焼け野原状態だった僕は、今でも回復の途上なのでしょう。
今回のことも、きっと回復の現れなのかもしれません。

そう思うと、やっぱり、あの指導教授ってとんでもないど畜生だったんだなと思います。
でもああいうタイプの人間がそれなりの確率でいるんですよ、僕、見ましたもん、何人か。

なんだか、話がまとまらないので、この辺で。