やにうさぎの雑記帳~140字じゃ語れない~

某呟きSNSには入りきらない思いやなんかを書いています。

重度コミュ障のための傾聴の12のポイントとコミュニケーションの話

おばんでした。

今日はやけに真面目なタイトルですが、ちょっと書いてみようかな、と思いまして。

https://note.com/degumiu13/n/nf01e94b81a10

 

このサイトの方は、傾聴の12のポイントをグラフィカルに書いてくださっていて、すごく分かりやすいです。
さて、この12のポイントをちょっと振り返りながら、コミュニケーションの方法についてちょっと考えてみたいと思います。

なお、この話は「根暗で人とお話することが病的に苦手で全然上手く会話が成立しないレベルのダメ人間」であるところの僕が、人間社会でなんとかそれっぽくやっていくために意識していることなので、お話上手な諸氏には全く参考にならないと思いますし、これができても女性にはモテません。むしろ色々言われて凹むだけです。
あくまで、お仕事用の人格の時にお使いください。

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鶴の一声で全部ひっくり返されたような気分になることってない?

こんばんは。なんか、雲行きの怪しいタイトルですが、まあそういうことです。

簡単にいうと、僕が抱えていた検討テーマのほとんどを取り上げられてしまいました。あと、部下の育成も。上司の気まぐれでしょうね。いいところまできてたんですが、多分それが原因でしょう。「コレ、俺の手柄にしよっと」という感じなんでしょうな。

まあ上司なんてそんなもんでしょう。そんなしょうもない上司を実力でねじ伏せられない自分自身の無能さを呪います。

表向きは「高い専門性が要求される基礎研究や困難なテーマに注力させるため」ということですが、まあ、完全にやられたんでしょうね。仕方がない。

 

テーマを取り上げられた上に、実験しようにも他の検討の方が優先だから、ということで、装置も何もかも埋まっている状態で、僕は会社に行っても何もできません。資料を作るのも得意なので、全部片付いてしまいました。
できたら一度見せろ、というので、上司に送りましたが、もう何日も放置です。毎日せっついてるんですが、どこ吹く風、って感じですね。まあしゃあない。
そもそも、その資料も、以前作った資料の焼き直しですがね。二手三手先まで読んで資料を作っているので、必要そうな資料はだいたいすぐできるようになっています。

ということで、窓際族になりましたが、よろしくね。

夏の終わり

長いようで短い夏休みがまもなく終わります。

世の中のサラリーマンからしたら長いと思われる9連休を頂いてたわけですが、北海道に帰らずにいると、ずいぶん長く感じました。とはいうものの、本を読んだり、掃除をしたり、ぼんやりしたり、寝倒したりと日頃できないことをやりました。性格上、じっとしていることが苦手な上に、うつ病をやってから本を長時間集中して読むことができなくなってしまったのですが、これだけ時間があると、本を読んでは掃除をして、本を読んでは料理をつくって、本を読んでは筋トレして、と何かする毎に本を読んでいました。こうすることで、なんとかかんとか一冊読破しました。

今回読んだのは、外山滋比古 「思考の整理学」です。ベストセラーというのか名著ということで、巷では有名だと思います。かくいう僕も、中学生の頃に一度読んだ記憶があるのですが、中身をまるっきり覚えていないというバカっぷりで、当時のオツムのなさが透けて見えます。著者の外山先生の訃報に接して、そういえば、と思い出したので、今回の夏休みのお供として読んでいました。
読書感想文は苦手ですし、評論はネット上にゴロゴロ転がっているので、ここで何かを論じるつもりもありませんが、書いてあることは至極もっともというのか、高等教育を受ければ「当然」訓練されているべきことだし、そうでなくても、社会で生きているうちに自然と身につく人もいるだろうなという。本書冒頭の「グライダー」に出てくる受動的に知識を得るだけのグライダー能力に長けているだけではいかんのだ、というのも高等教育ではまあ当たり前じゃん、と言われると思うんですよ。別に大学にいかなくったって同じような感想に行き当たるような気もしますがね。

なんにしたって、大学を出た「だけ」、大学に通っていた「だけ」の人が多すぎるゆえにこういう話が出てくるのかなと思ったりしました。

でも、本の内容は面白くて、改めて考えることの楽しさと難しさ(手法自体は簡単なはずなのに!)に気付かされました。

 

土日で調子を戻して、月曜からの出勤に備えなきゃ、、、

夜を往け

中島みゆきかよ、と突っ込んだあなた。あなたとは美味しいお酒が飲めそうです。

こんばんは、けみねこです。
今日も今日とて思考を垂れ流すだけなので、読みにくい文章でしょう。暇があればお付き合いください。

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梅雨が明けそうですが

気付いたら来週から夏休みだよ。

どうもおはこんばんにちは。らぼうさぎです。

 

筋トレ、やってます。最近は筋タンパク質の合成について色々と調べたりしています。
こういう時に、論文を読む能力が役に立つとは、人生何があるかわからないものです。

さて、近況ですが、本業の会社員生活はある程度成果が出始めています。あとはこれが数字として出てくる段階になるまで待つだけというところ。そこは時間がかかるところだけど、必ずいい結果が出てくるはず。
研究開発というのは、時間が必要な時がある。それを短縮するために金や人といったリソースをぶち込んでいくわけだけど、どちらも大してない時には、待つしかないのだ。
経営的に研究開発というのは「投資効果の少ない」ものということで避けられがちだ。(経営上のリスクを避けるためには研究開発なんて潰してしまうのが一番いい)
だからといって日々の努力の積み重ねだの、プロセスだのを重要視します、などというのでは本末転倒である。大きな成果を出すためには日々の積み重ねなど当たり前のことだ。練習もせずに打席に立って大振りしたってホームランなど打てっこない。内野安打でも相手のエラーでも四死球でもいいからとにかく塁に出ないといかんのだ。

そうやって、かっこいいことを言おうとして空振りしてる上司を尻目に、俺は黙々と上司の望むと予測したポンチ絵を作り、部署員が投げ出した案件の会議をやり、実験をやって結果を解析して、誰も見ないであろうポンチ絵を作ってslackに投げておく。

かっこいいことなんていっても無駄なのだ。数字を、成果を挙げてナンボ。それ以外に俺たちの存在価値を証明してくれるものなどない。その成果がもたらすであろう利益をせっせと経営層に説き、自分たちの仕事がいかに会社の将来にとって重要であり、投資するに値するものなのかを説得し続けなきゃいけない。
それはそれは地味で地道で辛い仕事だろう。華なんて一切ない、多分相手の無理解やら自分の説明のマズさから理不尽な罵詈雑言だって浴びるだろう。利益を産まない上に金食い虫なんだから、とにかくそれでも耐えて耐えて耐えてとにかく自分たちの仕事を説明し続けなきゃいけない。

果たして、それは一体誰の仕事なんだろうか。多分、俺自身なんだと思う。
上司に甘えてはいけないし、遠慮する必要もない。
自分の能力をもってすれば、できないことじゃないはずだ。

どうしても書きたいことがあるんで、愚痴らせてくれ

頼む、ということで、このタイトル。

大して面白くないし、単なる愚痴なので、読まないほうがいいかも。

 

この度、実験室の安全衛生管理を押し付けられたんですが、その中で手始めに始めたのが「試薬管理」です。
え、と思うかもしれませんが、劇毒もまともに管理された状態ではないので、これを手始めにやろうということにしました。
保有試薬をリスト化し、保管位置を適正化し、リストにある試薬に片っ端からIDを振って、受払簿を作る。受払簿もバーコードでピッとやって管理できるようにしたかったんだけど、突貫工事なので、とりあえず古き良き紙帳簿にしました。
これで劇毒も危険物も管理ができるようになったけど、問題は現場がこれを受け入れるか、だ。
今までこんなことをやってこなかったんだから、もちろん、払出量を書け、なんていちいちやりたくねえ、というのが本音だろうし、反発も出るだろう。
劇毒はほぼほぼ使ってないからいいとして、その他の試薬類については、法に触れない程度に払出のタイミングを記録しやすいところに変えた。
学生時代に押し付けられた試薬管理で培った知恵だけども、こんなところで役に立つなんて皮肉なもんだ。

試薬管理ができたら、今度は廃液搬出だ。業者を選定したり、搬出に必要な書類を揃えたり、契約したり、と様々あるけど、ひとつづつやっていきたい。

 

さて、こんなクソみたいな仕事を押し付けてきた張本人(上司)は3年前からこういう自体を見過ごしていたわけだ。曲がりなりにも高専・大学学部と化学系を卒業して、化学メーカーに10年単位で勤めていたとは思えないほどの無知さに呆れ返るばかりだ。
きっと卒業証書や学位記の裏には「なんちゃって」と書いてあるに違いない。
「なんちゃって」なら仕方ない。その程度のやつだろうし。

なお、このクソ仕事を「あなたに民間企業における安全衛生管理を学ばせるため」などという仰々しいお題目を唱えて、さも高尚そうに宣いやがるのが気に入らん。
ただ、てめえがやりたくなくて放置してきた仕事じゃねえか。ふざけるのも大概にしろと怒鳴り散らしたい衝動に駆られている。
何が悲しくて、こんな休日の深夜に受払簿を作って、帳簿の導入意義や関連法規の説明スライドを作っているんだ、俺は。
しかも、これ、無給だぜ? 信じられるか? ホントにバカバカしいったらありゃしない。
こんな性格だから、彼女もできないし、尖切ることもできず、煙たがられて出世もできず、くすぶる一方で終わっていくんだ。
俺の人生は、もう終わっているんだろうなと思う。
仕方ない。もう終わってるんだ。あとは、こうやって、クソみたいなケツ拭き仕事だけを延々と押し付けられて歳を食っていくんだなと思うと、急に涙が出てくる。

毒劇法や消防法をカチ無視ぶっこいたその口で、著作権がどうのとか海賊版ソフトがけしからんとかいうんだから、人間は自分に都合の悪いものは本当に見えてないんだな、と滑稽に思えてくる。

ただ、こういう負の強い感情というのは、仕事のドライビングフォースとしてはすごく優秀なのだ。怒りに任せてマウスを弄り、キーボードを叩くと、瞬く間に資料ができあがっていく。揚げ足をとられまいと、寸分の解釈違いも許さない厳格な表現、一意にしかとられない図表、スライド内の視線誘導の線一本さえも、(自分でも驚くような)短時間で、完璧に仕上げることができる。
それに加えて、何をどこでどう話せば一番効果があるか、がスラスラと頭に浮かんでくる。学生時代に鬱で倒れる前の、頭の冴え方を彷彿とさせる。なにもこんな時に、こんなところで、と思ってしまうが、この怒りこそが、萎縮した脳をいろんなしがらみから解き放つ、今のところ唯一の鍵なんだろう。


道義的・社会的責任という正義の旗印の元で、寸分狂わぬロジックを組み上げて、相手の怠慢を指摘し、逃げ道の一切を遮断して血祭りに上げ、完膚なきまでに叩きのめす・・・こんなことをやれば間違いなく人間関係に禍根を残し、今期の人事考課で報復を食らう、と躊躇してしまうようなことも、正義のためなら、と気狂いのように血眼になってできる。
どうせ何を言ったって、どんなに仕事がうまくいったって、難癖をつけられて人事考課を下げられるんだから、やりたい放題やってやろうと思っている。それでも我慢できなければやめてしまえばいい。

俺は、あの上司とは違う。家のローンも、守るべき家族も、社会的地位も、周囲の期待もない。どうせ独りなのだ。所詮、誰にも選ばれることのなかった、無様な独身限界中年男性だ。

無様でもいい、最期に、自分がこれでよかったんだと笑いながら首を括ることができるような生き方をしたい。

 

大臀筋が痛いんですが、一体どういうことですかね

ということで、ブログです。

 

ジムでの筋トレを再開したわけですが、コロナの中で、どれだけ運動不足になっていたかを思い知りました、というのが今日のタイトル。
コロナで引きこもる前は、1日2回のジム通い(ダブルスプリット)を余裕でこなしていたというのに、今は1時間エアロバイクを漕いだだけで、このザマです。

日曜日は、様子をみて自重トレとHIITでやっていきます。

 

そういえば、来週から、早朝に勉強会をやるとのことで、参加することにしました。
火曜の7時半からです。眠いよ、うん。研究開発戦略と事業化のマネジメントの勉強会です。ついにマネジメントの勉強もしなきゃいけなくなりました。まあそういう歳だから仕方ないね。

 

今日は早めに寝ます。明日になったら少しは痛みが引いててくれないかなあ